大変な犠牲者が大勢いました

 大変な犠牲者が大勢いました。自分も清水の母の実家に住んでいましたが、清水に空襲があるということで、茂野島にある親戚のところに1日かけて疎開に行きました。その疎開先での生活が大変つらく、ある日、一人で清水に帰ってきました。

 そうすると実家の人に今夜あたり空襲があるから、帰りなさいと言われ、叔母に連れられて帰ったその晩、清水が空襲にあいました。その日、清水に残っていた祖父母、叔父叔母の4人は空襲を受け、大やけどを負いながらも機銃掃射から逃げ延びました。

 自分は難を逃れましたが、家族に弘志、あんときいたらあんたはきっと死んでいたよねと何度も言われました。という実体験に基づいた地元静岡の空襲の話には、学生たちも真剣に耳を傾けていました。また、角替学長はご親戚をサイパン島で亡くされております。

 近所の人が励ましの送り出しをする中、自分の祖母が涙ぐんでいたのを今でも覚えています。その叔父はサイパン戦で戦死した一人なのですが、第二次世界大戦というを観たとき、ああいう戦争では生きては帰れないだろうと実感として感じました。

 ある日、自分の叔父に赤紙が来て、出征することになりました。角替学長の講演後、の呼び込みで豊さんとが登場すると会場は大歓声に包まれました。皆さん、こんにちは。皆さんは今まであまり戦争映画ってご覧になっていないですよね。

 会場からははいと返事があり、今回の作品はこれまでの戦争映画とは違った作品になっていると思います。女性の方でも見応えのある作品になっていると思います。軍服を着て、装備をつけて撮影に挑んでいく中で、全力で戦った方たちの誇り高い魂を二度と忘れてはいけないなと思いました。

この記事は映画「太平洋の奇跡」http://www.taiheiyo-no-kiseki.jp/から一部引用しております。

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